ラボに戻ると、あまねたち三人がテーブルを囲んで何かを話していた。
「あ、帰ってきた。ねえみんな、ちょっと来て。これ見て」
「あん? 何か分かったのか?」
中村さんはペタペタとサンダルを鳴らして彼らに合流した。三人がじっと覗き込むテーブルの上には、見慣れない銀色の装飾品が置いてあった。
「エリシアちゃんのローブの内ポケットに入ってたんです。それもすっごく奥の方に」
ヒナタが窓際のポールラックを指差して言う。いつの間にか、エリシアはとんがり帽子とローブを外していた。白い襟付きのブラウスに、チェックのミニスカート。魔法使いの衣装を脱いだエリシアは、昼休み中の海外の女学生のようにも見えた。
「トモヤ、XXX?」
「え、な、なに? なんて?」
上着を脱いだエリシアに話し掛けられて、僕はドキッとした。そのリボンを結んだブラウスの胸元が、大きく膨らんでいたからだ。厚手のローブを羽織っていたせいで分からなかったが、エリシアのおっぱいはかなり大きいようだった。僕の知る限り、同年代では圧倒的なサイズだ。
「エルシィも見覚えないんだって。何に使う道具かも分からないってさ」
「何だこれ……栞か?」
中村さんはその物体に目を凝らして呟いた。彼の言った通り、それはちょうど本に挟む栞のような大きさと形をしていた。紙とさほど変わらない厚さをしていて、長方形の四隅は丸く角が取れており、内側には串刺しのようになった三つの輪が、水の波紋のように重なって空いていた。その中心には万年筆のペン先のような小さな部品があり、尖った先端は鮮やかな紫色に染まっていた。塗料で塗られているのではなく、焼入れのような加工で自然に変色しているようだった。
「でしょ? リボンもちゃんとついてるし。でもさ、本みたいのは持ってなかったんだよ。てかね、それはとりあえずどーでもいいの。ちょっと見てて」
あまねはそう言ってリボンを摘んで栞を縦に持ち上げた。すると、机の上では平らに収納されていた三つの輪が、軽やかな金属音を奏でて滑らかに展開した。
シャラン——。大中小、三つの銀色のリングが互い違いに開き合い、まるで天球儀のような中空の立体構造を形作る。そしてその球体の中心では、紫色のペン先が見えない糸で吊られたようにピタッと水平に浮かんでいた。
「これすごくない? ジンバルになってるんだよ。畳むと元に戻るのに」
「ああ……しかも三軸の高精度のやつだな……」
中村さんはあまねから栞を受け取ると、金属の機構部分を閉じたり開いたりして、その仕組みを調べ始めた。ユキはそんな彼の手元を覗き込みながら、あまねに尋ねた。
「あまねちゃん、ジンバルってなに?」
「ん、一言で言うと水平を保つための機械かな。飛行機とか宇宙船の姿勢制御に使うの。自撮り棒とかにも入ってるよ。見てみ、ほら真ん中の部分が全然ブレないでしょ?」
あまねは中村さんの手をぐらぐらと揺らした。すると、ペン先を囲う三つの外輪はくるくると不安定に回転するのに、その真ん中に吊られたペン先だけは、全くブレずに同じ方向をピタッと指し示していた。こんな風見鶏みたいな不安定な構造をしているのに不思議だ、と僕は驚いた。
「この輪っかがね、『世界環』っていうんだけど、これが外からの振動を全部打ち消して、中に伝わらないようにしてんの。ステディカムっていって、映画の撮影とかでめっちゃ使われてるよ」
「ほんとだ、すごーい。でもこの真ん中にあるの何だろう、コンパスみたい」
「そうそう。このペン先、どこをどう向けても絶対同じ方向を向くんだよ。だからあたしもコンパスかなーって思ったんだけど、こっち北じゃないんだよね。ていうかどこ? みたいな」
「コンパスだと……?」
中村さんはその言葉にピクッと反応すると、自分のスマホを取り出して地図アプリを開いた。見ると、それは北ではなく少し西寄りの南という、何とも言えない方角だった。
「なに? 中村さん、なんか分かったの?」
「……わりい。ちょいこれ借りてってもいいか? 明日ぜってー返すから、頼む」
中村さんは栞のジンバルをパタンと閉じると、エリシアに拝むように頼み込んだ。
「は? なにそれ、ぜったい借りパクするやつじゃん。だめに決まってんでしょ」
「頼む。俺、なんかすっげーヤバいモン見つけた気がする。な? オネシャス」
「えー。エルシィ、どうする?」
「XX、XXX……」
中村さんは『俺、これ、持ってく』のジェスチャーをひたすら繰り返した。その意図はエリシアにちゃんと伝わったようで、彼女はすぐにこくんと頷いた。
「うん。わたし、いいよ」
「え? 今なんて言った?」
エリシアがサラッと口にしたその言葉に、僕や中村さんはハッと驚いた。聞き間違えではない。それは明らかに日本語の言葉——それもかなり流暢な——だった。
「いつまでもこのまんまじゃ可哀想だし、さっきちょろっと教えといたんだよ。『はい』とか『いいえ』とか、簡単な日常会話をさ。もう挨拶もできるよ。こんにちは、エルシィ」
「うん。こんにちは、あまね」
楽しそうにハイタッチをする二人。ワオ。いつの間にこんなに心を通わせてたんだ。
「はは……そうだよな。いきなり喋れるようになるわけは……ないよな」
中村さんは狐につつまれたように言った。僕も同じことを思った。まさか、そんな魔法みたいなことが起こるわけがない——そんな安堵の気持ちを込めてエリシアを見ると、彼女は目をパチパチと瞬かせながら、『どうしたの?』というような顔をした。
「じゃ。俺、今日中には帰らねえと思うから、鍵はポストに入れとけ」
「え? ちょっと中村さん。なに言ってんの? 今日中って、もう日が暮れちゃうよ。この後どうするつもりなの、エルシィ行く場所ないじゃん!」
「ああ。今日はそいつんちに泊めてやれ。で、また明日ここに連れてこい。じゃな」
「は? 僕んち? いや、いきなり何を言ってんですか、中村さん、おい!」
僕が呼び止める間もなく、中村さんはスッと敬礼してラボを飛び出し、ダダダと階段を駆け下りていった。僕はダッシュでその後を追い掛けたが、まさに無駄足だった。
「……ったく、いきなり何言ってんだ、あの人。なあ、どうする——って、おわっ!」
中村種の突然の奇行に呆れ果てた僕がラボに戻ると、入口で待ち構えていた三人が、グイッと僕を中に引き入れた。ドンッ! 閉じた扉を背に、僕は一瞬で取り囲まれた。
「どうするもこうするもないでしょ! トモヤまさか、ほんとにエルシィを家に連れて帰るつもり? ぜーったいダメだから。そんなの、あたし許さないからね!」
「トモヤさん、流石です! 流れるようなフラグの建築、お見事ですっ。それも自分じゃなくて師匠に建ててもらうなんて、まさに前代未聞ですっ! よっ、待ってました!」
「と、トモくん! そういうのは大人になってからじゃないとだめだよ! お父さんとお母さんも困っちゃうし、エリシアさんだって女の子なんだよ。よく考えて? ねっ?」
「おいバカ! お前らまで急に何言ってんだ。あの人の言うことを真に受けんな!」
エリシアはその会議の渦中に誰が居るのか分かっていないようで、『なになに?』と首を伸ばしていた。僕の視線は自然とその大きく膨らんだ胸へと向かい……。
「あ、ちょっと、エルシィ変な目で見ないでよ。ばか! 妄想やめろ!」
——ガバッ。あまねは僕の視界を遮るように両手で目を覆った。
「だから放せって……」
ふっ——。その瞬間、ブラックアウトした僕の鼻先に、ほのかに甘い香りがかすめた。ドキッとした。それはあまねの匂いだった。その身がすくむほどリアルな女の子の気配に、僕はそれまで目に焼き付いていたはずのエリシアの姿を見失っていた。
「……あのな。いきなり見ず知らずの女の子を泊めることなんてできないよ。引っ越した時、親父からキツく言われてるんだ。バレたら栃木に連れ戻されちゃうよ」
僕はドキドキと熱くなった体の火照りを隠すように、あまねの手を払って距離を取った。そうしなければ、その時僕が胸に抱いていた邪な感情が、肌から肌に伝わって、彼女にバレてしまうような気がしたからだ。
「ぶぶー。トモヤさん、それは言い訳になってませんよ。むしろ墓穴を掘ってますから」
「はあ? なんだよそれ。別にあの部屋は僕のものじゃないんだぞ。あれは親父の……」
僕は東京に出てきてから、父親が持っている三鷹のワンルームマンションに一人で暮らしている。それはかつて、仕事の都合で東京に出てくることの多かった父親が、ホテル代わりに使っていた部屋だったが、リモートワークの普及した今ではすっかり死蔵され、開かずの間となっていた。そんな折、僕が東京の予備校に編入する話が決まったのだ。
「親のものは俺のもの。俺のものは俺のもの。いーじゃないですか。お金持ちの特権なんですから。女の子の一人や二人連れ込んでこそ、ドラ息子ってやつですよ」
からかうように言うヒナタの言葉に、僕はサッと胸が冷えるのを感じた。
「……あ、そう。じゃあ、お前らが泊めてやれよ。そうすりゃ安心だろ」
僕はヒナタを小突いて突き放し、スッと目を細めてあまねを睨みつけて言った。
「ウチぃ? ウチは無理だよ。そんなの聞かなくても分かるっしょ。クソ親と一緒だし」
「うん……わたしの家もちょっと。お父さんにぜったい許してもらえないと思うな……」
僕の言葉に、実家暮らしの二人はさも当然のように『無理』と言った。
「ちなみにボクの家も無理ぽです。母親が居ますし、めちゃ狭いので」
ヒナタは指でバツ印を作って言った。ヒナタは船橋のアパートに母親と二人で暮らしており、一人っ子のユキは練馬の一軒家に両親と暮らしていた。だが僕が知っているのはそれだけだった。二人とも家族のことは話したがらなかった。それは僕も同じだった。
「じゃあネカフェとかカラオケとかさ。そういうのに泊めればいいじゃん」
「ダメですよ。そういうところって基本、会員証なしでは泊まれませんから。外国人で、しかもパスポート持ってないってバレたら、下手すると警察呼ばれちゃいますよ」
さっきまで煽りに煽っていたヒナタが急にリアルなアドバイスをくれる。それを分かって言ってたとしたら、こいつもこいつで大概な性格をしている。
「だけどさー、にしてもトモヤの家に連れ込むとかはないっしょ。だってワンルームでしょ? ベッド一つでしょ? 着替えとかお風呂とかどーすんのさ」
「あまねちゃん、ユキちゃん、心配いりませんよ。だって、トモヤさんなんですから。きっとエリシアちゃんも安心安全です。だって、トモヤさんなんですから!」
「何で2回言う必要が?」
「え? だってすごく大事なことですもん。トモヤさん……ボク、トモヤさんのこと信じてますからね? ほんとのほんとに……信じてますからね!?」
「えー? ほんとに……?」
ヒナタは手を組んで祈るような目で僕を見つめた。一方、あまねは疑いに満ちた白い目で睨めつけてくる。僕は一体こいつらに何を心配(期待?)されているのだろう。
「……おい、待てよ。本当に僕んちに泊めるの? マジで言ってんの?」
「ゆるす。他に案なさそうだし。エルシィこのまま放り出すわけにも行かないし」
「う、うん。そう……だよね。仕方ないよね……うん」
あまねとユキも諦めのムードを漂わせながら僕をじとっと見つめる。
「あのな、話聞いてたか? 僕はあの部屋に住んでるけど、イコール僕の家ってわけじゃないんだぞ。つまり……ただ住んでるだけっていうか」
「え。なに今さら。さっきまであんなエロい目してたくせに。今日お父さん来てるの?」
「そりゃ……来てないけど」
僕はおずおずと答えた。この半年間、僕は両親と一度も顔を合わせていない。メッセで近況を報告するくらいで、二人とも引っ越しの時に話したっきり、声も聞いていない。
「ならいいじゃん。一晩くらいならバレないって。オートロックでしょ?」
「まあ、一応……」
僕はあまねに言われるがままに渋々頷いた。自分のものじゃないと言ったものの、こうやってズケズケとした物言いをされると、それはそれでいい気分がしない。こうして予備校をほっぽらかして遊んでいる僕でも、父親との約束を反古にするのは気が引けた。なんだかそれは——とても善くないことのような気がしたのだ。
「じゃ、決まりね。でもまずはエルシィ本人に聞いてみなきゃだね。のしろせんせー」
あまねとユキは僕のことなど綺麗さっぱり忘れたように、エリシアを連れてテーブルのソファに座った。そして再びユキを挟んで絵での会話を始めた。二度目ということもあり、今度はさっきよりもスムーズに筆談は進んでいるようだった。
「……ふう、これにて一件落着。ボクの計画通りに事が進みましたね。グッジョブ」
女子三人が抜けた絶妙なタイミングをついて、ヒナタがものすごく悪そうなサムズアップをする。このエロ男子め。僕はこいつの期待を全力で裏切ることにしよう。
「いいですか、トモヤさん。押し掛けヒロインのお約束展開として、まずどっちがベッドを使うかという一幕が発生します。初日にいきなり一緒に寝るというのは、少年誌では絶対にありえませんからね。なので必然的に、トモヤさんが床に寝る羽目になります」
「僕がベッドに寝るっていう選択肢は?」
「ありません。で、部屋に連れ込んだらこっちのものです。後は全てを流れに身を任せていればオッケーです。シャワーを浴びたと思ったら冷水が出て『きゃあ!』、その拍子に着替えが濡れちゃってまた『きゃあ!』、それを聞いて『どしたどした』と風呂場に駆けつけて『きゃあ!』、一糸まとわぬヒロインの裸を目の当たりにして『エッチ、スケベ、ヘンタイ!』——うん、やっぱこれですね。結局、王道を行くちょっとエッチなラブコメが一番オトコ心に効くんですよ」
指で作ったカメラのフレームを覗き込みながら、そんなコテコテの妄想を語るヒナタ。僕はそこにチョップで切り込んで強引にカットした。絶対にそんな展開にはならない。……でも、そう言われたら言われたで、モクモクと妄想の煙を立ち昇らせてしまう自分という生き物が悲しい。
「ね、トモヤさん。あとでエリシアちゃんのおっぱい何カップだったか教えてくださいね。ブラ、ちゃんとつけてるみたいでしたから」
あまねたちと談笑しているエリシアを見ていると、急にヒナタが耳打ちした。刹那、僕の視線は重力に引かれるように下を向き、ローブを脱いであらわになったエリシアの大きなおっぱいに釘付けになった。僕は思わずその場でビクッと肩を震わせてしまった。
「おま、それどうやって確かめたんだよ。いつの間にそんなこと……え、マジで!?」
「フフ。さっきあまねちゃんと一緒に持ち物を確かめてる時に、チラッと見えちゃったんです。背中から透けブラしてるのが。色はたぶん……」
「おいやめろ、言うな! 今から変なこと考えさせるなって!」
僕は顔を真っ赤にしてヒナタを突き放した。こいつ、他人事だと思って心の底から僕のことをからかっているな。人の気も知らないで勝手なこと言いやがって……。
「あ、そうですよね。読者のお楽しみは後に取っておかないと。さすがトモヤさん、お分かりになられてますね」
「何がだよ……」
僕は思わず垂れた唾を飲み込んだ。どうしてだろう。初めて会った時から別方向に印象が強すぎたせいか、僕はそんなことを言われるまで、エリシアがブラをつけているだなんてことを想像もしなかったのだ。あまねですらつけているのだから、あの大きさをお持ちのエリシアであれば、ブラの一つや二つ、つけていたっておかしくない。
「でも、トモヤさんって見かけより純情なんですね。なんだかボク、安心しました」
「お前、ぜってーそれ褒めてねえだろ。そもそも見かけよりって何だよ、見かけよりって」
「中村さんが言ってたんですよ。『あいつは見ての通りのやつだ』って。それ聞いた時、ボクすごく納得しちゃったんですよね。『ああ、確かに~』って」
「本人の居ないところで訳分かんないこと話すな。何に納得したんだよ」
「それはぜひご自分でお考えになられてください。その方が面白いので!」
ヒナタは指をぴんと立て、華麗にウィンクをしてみせた。やれやれ、何だか僕はいつも中村さんやヒナタにからかわれてばかりな気がする。あまねやユキは僕のことを弟か兄みたいに舐めているし、ちゃんと一人前の男として扱ってくれるのはエリシアくらいのものだ。彼女の前くらいではカッコよく紳士な姿を見せたい。
「つーかマジであの人どこ行ったんだ? 今日中には戻らないってどんな用事だよ」
僕はすっかり暗くなった窓の外を眺めながら言った。時計を見ると6時を回っていた。
「さあ。中村さんのことですから、きっと何かツテがあるんじゃないですか?」
「何だよツテって……。お前、あの人の知り合いに会ったことあるのか?」
「ありませんけど。でもきっと本屋さんにでも行ったんじゃないですか?」
「本屋……?」
僕はそう言われて、棚に置いたルーン文字の本を再び手に取った。神秘的な色合いのその本の表紙には、僕の読めない文字たちが並んでいた。僕はあまねとユキの間に挟まれて座ったエリシアに目を向けた。そしてその本を彼女が持っているところを想像した。
——それは鮮やかな紫色の表紙に包まれた、とても古い1冊の本だった。
——革張りの表紙の上には、銀色に輝く7文字のルーンが刻まれていた。
「え?」
突然、また声が聞こえた。広場で聞こえたのと同じ声だった。僕はその言葉の持つ特別なソリッドさ——のようなもの——にハッと目が覚めたような気持ちになった。
「トモヤさん、どうしたんですか?」
「いや……。ヒナタお前、今なんか言ったか?」
「いいえ。何も言ってませんよ」
僕が尋ねると、ヒナタはふるふると首を振った。
「じゃあ……僕が何か言った?」
「はい。『今夜、絶対エリシアのおっぱいモミモミしてやる』って言ってました」
真顔で言って、わしゃわしゃと両手で胸を揉みしだく真似をするヒナタ。本当にそんなキモい独り言を呟いていたのだとしたら、僕という人間は終わりだ。
「ト、モ、ヤ」
そんなしょうもないやりとりをしていると、後ろから誰かに肩を叩かれた。振り返ると、すぐそこにエリシアが立っていた。
「な、何? どうしたの?」
「わたし、いっしょ、かえる」
いつの間に支度を済ませたのか、エリシアは肩掛け鞄にローブと帽子を詰め込み、僕のすぐ後ろに立っていた。あまりにも近かったので、僕は一歩後ずさった。
エリシアはイソギンチャクのように手をワシワシ動かしているヒナタを見つけると、ニコッと笑ってそのポーズを真似した。
「あはは、可愛い。エリシアさん、なんだか怪獣みたい」
「ぎゃおー、お出汁をかけて食べちゃうぞー。なんてね」
そんなところに、同じく帰り支度を済ませたあまねとユキが現れる。変な勘違いをしてくれて助かった……そんな冷や汗タラタラの僕を、ヒナタがニヤニヤと見つめてくる。
「……ていうか、また言葉喋れるようになってない?」
僕は驚き混じりに言った。『わたし、いっしょ、かえる』——エリシアはさっき確かにそう言ったのだ。誰の真似をしたわけでもなく、自分から僕に対して。
「あまねちゃんが教えてあげたんだよ。エリシアさん、日本語覚えるのすごく上手みたい」
「まじびっくりだよ。このまま明日になったら日本語ペラペラになってたりしてね」
「わたし、トモヤ、いえ、いく」
エリシアは『わたし』と『あなた』のジェスチャーを交えながら『私はトモヤの家に行く』と言った。それはまるで小さな子供のようにおぼつかない言葉遣いだった。だが足りない言葉は一つもなく、彼女の意思——と呼べるもの——は確かに僕に伝わってきた。
「いや……本当にいいの? 僕んち、狭いし散らかってるし……」
「うん。わたし、トモヤ、いっしょ、いい」
僕はそんなエリシアのしっかりとした返事を聞いて思わず感動してしまった。すごい、ちゃんと会話が成立している。お互いがお互いを宇宙人みたいな目で見ていたさっきまでとは大違いだ。いかん、目元がぼやけてきた。
「泣くなよー。てかよかったじゃん。『わたし、ともや、きらい』とか言われなくてさ」
あまねは手をパチパチと叩きながら「にゃはは」と笑った。ふん、猫みたいなやつ。
「3時のティータイムにはちょっと遅いですけど、みなさん1杯だけどうですか?」
「あ、すっかり忘れてた。飲む飲むー、ヒナタお茶淹れてー」
ヒナタはキッチンカウンターに入ってティーポットを持ち上げて提案した。そういえば、すっかり忘れていた。ヒナタはヤカンに水を汲んでコンロでお湯を沸かし始め、あまねたちは帰り支度を一旦解いてソファに腰を下ろした。そして買ってきたクッキーアソートの缶を開け、お茶が来るのを待たずに食べ始めた。
「おいしー。ねえ見て、これエルシィの目みたいじゃない?」
あまねは缶の中から紅い砂糖細工が付いたクッキーを取りだして自分の目に重ねた。エリシアはおいしそうにクッキーをぱくぱくと頬張っていた。似ていると言ってもそれはやはり紛い物で、エリシアが持つ本物の紅い輝きとは掛け離れていた。
「お待たせいたしました、御主人様、お嬢様~」
やがてヒナタがお約束な口上と共にトレイを持ってやってきた。てきぱきとした手さばきでソーサーに載ったティーカップを置いていくその姿を見ていると、まるで本物のメイドさんのようにも見える。その装いは偽物でも、メイドカフェのバイトで培ったそのスキルは本物なのだ。ヒナタの淹れる紅茶はその名の通り、紅く透き通った綺麗な色をしている。それはティーバッグを浸しすぎて茶色く濁ってしまう僕が淹れる紅茶とは違う。それを指し示す言葉が、たまたま同じだけだ。